脊梁最後の焼岳
2010-08-24


今週末は、前から予定してた山行が中止になり、急遽焼岳と西穂高岳に行くことになった。

釜トンネルからスキーで焼岳に登ったことはあったものの、登山道を登ったことにはならないし、焼岳から西穂山荘までは未踏の地であったので、足跡を残しに行って来た。

21日、前夜発ち、新穂高道の駅に着いたのは2時半頃、後で分かったことだが、無料駐車場は深夜1時頃にほぼ満車になったらしい。行かなくて良かった。
次々に車が入ってくるが、耳栓とアイマスクがあるので比較的眠ることができた。
流石にこちらは涼しい、朝方は寒いくらいだった。

6時20分、中尾温泉焼岳登山口から登り始める。巷では日帰りルートらしいが、今回は西穂高まで歩くので、久しぶりのテン泊装備で荷物が重い。
樹林帯の登りやすい道が続き、順調に高度を上げてゆく。30分で刻み、中尾峠にはコースタイムの3時間で到着。右前方に噴煙を上げる山頂が現れ始める。

ザックを置いて空身で山頂に上がる。中ノ湯温泉方面から登った登山者とすれ違い始めた。山頂に近づくに連れ硫黄の臭いが漂い、北峰直下では勢いよくガスが噴出している。
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4時間で到着、流石に百名山で大勢の人が休んでいる。
若干ガスが掛かってきたが、快晴の下奥穂高へ続く稜線が全て望める。今夜の泊地の西穂山
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荘も樹林帯の中に屋根を現している。こんな天気の下で登れ大満足だ。

焼岳小屋まで下ると7合目の道標がある、随分下ったもんだ。
西穂山荘まで登り基調の稜線を辿ることになるのだが、この辺りから同行者がエネルギー切れを起こしペースが落ちる。割谷山が同定出来ず歩いてると、上高地が眼下に現れ、帝国ホテルの屋根やヘリポートの位置から見ると槍見台まで来たようだ。ここまで2時間、ゆっくりペースなのにほぼコースタイムだった。
池塘を横に見ながら急登を登ると突然上高地ルートと合流出来た。

10分ほどで山荘到着。随分ゆっくり歩いたつもりだが、約8時間半とコースタイム通りだった。
早速テントを設営するが、テン場は一杯、ヘリポートに設営する。6時半までに撤収が条件だ。
早速生ビールで乾杯、横のテントのおっちゃんと話しながら食事だ。こんな縦走は何年ぶりだろう。小屋泊まりの最終食事時間は19時だったらしい、いやはや寝られるのだろうか。小屋前の大勢の人達を横目にテン場でゆったり食事するこの時間帯が一番楽しい。
ほろ酔いで歩いてると、ごましおさんと呼び止められた。以前囲炉裏の例会で会った方だったが、全然分からなかった。私って覚えやすいそうです。
夕方になるとガスが取れ始め、明日の晴天は約束されたものだ、早々に就眠する。
朝方は寒いくらいで、下界の極暑を忘れて快適に眠ることができた。

22日、暗い中から大勢出発して行く。我々はゆっくり起きだして、しっかり食事を摂る。今日はオマケみたいなもの、山荘から奥穂までは同行者も歩いてるので、前回暗い中歩いた西穂高岳の稜線を満喫するだけで、テン場も最後に発ち西穂を目指した。
今日も快晴、まだガスも掛からず360度の展望が待ち受ける。

丸山、独標まではハイキングコース。今日の天気ではどこからでも北アルプスを眺められる。
ピラミッドピークを過ぎて西穂の登りで、昨日の村民に出会う。4時頃出たそうだ、我々は6時半、まぁこんなものでしょう。
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2回目の西穂高山頂。前回雨上がりの薄暗い中での登頂だったので印象は無いが、こんな展望だったのかと納得する。

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[山]

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